カーネルサンダースについて

今日はカーネルサンダース一色ですね。

こういう話は大好きです。なんだかわからないことも信じてしまうし、それで妙に安心します。よかったですね。阪神ファンの人はたまらないでしょうね。かなりうらやましいです。

「発見」はネットの新聞の記事で知りました。その後下半身も見つかって、無事に合体してたりして。おもしろいなー、いい話だなーと思って読んでいました。昔、沈んだタイタニックを引き揚げる映画がありましたが、これをテーマに「レイズ・ザ・サンダース」とかいう映画を撮ってほしいです。

ただ、ひとつだけ気になったことがあります。これも、ものすごくおもしろいんですが。

どうして取材に答えた人の話が大阪弁で書かれているのでしょうか。


朝日新聞から引用)
 「人か?」。道頓堀川の遊歩道整備の現場監督の十川(そがわ)俊一さん(34)は、ヘドロの中から引き揚げられた上半身だけの像を見て一瞬ドキッとした。だが、次の瞬間、「カーネルや」と確信した。
*中略*
熱烈な阪神ファンの大阪学院大企業情報学部の国定浩一教授(68)も、仕事でテレビ局にいて発見を知り、駆けつけた。「おわびとお祈りとお礼を兼ねてきました。何回も捜して見つからないから、あかんと思ってた。仏のようなものすごいええ顔をしとる。全国の阪神ファンに報告したい」

産経新聞から引用)
阪神タイガース真弓明信監督の話「足あったんか? 日本シリーズで優勝できないのはそのせい(カーネルののろい)だけやないけど。これだけ話題になるなら甲子園にもってこなあかんな」


カーネルや」って。なんか臨場感がありますね。「カーネルだ」とは違った力があるような気がします。それから、「あかんと思ってた」という諦めた感じも、「だめだと思ってた」とはまた違った悲壮感の薄さみたいなのがあるような気がします。音が「ダ」にくらべて優しいからでしょうか。

真弓監督は本当に記者の取材に対して「足あったんか?」なんて言ったんでしょうか?定かではありませんが、そう言ってほしいような気もしますね。でも、「それだけやないけど。」って、やっぱり「のろい」を信じてたわけで、それがイイですね。

普通、新聞の記事には取材に答えた人の談話をかぎカッコに入れて掲載するときに方言を使わないと思うのですが、なぜか、大阪弁だけは、こういうニュースのときにそのままかどうかわかりませんが、大阪弁で掲載されますね。博多弁とか仙台弁とかもそのまま掲載してもいいんじゃないでしょうか。新聞の記事も不思議なコードの使い分けをしますね。

大阪の人は、こういう記事をどう思って読んでいるのでしょうか。いっそう心に染みるのでしょうか。なんとなくバカにされたように思ってるのでしょうか。

今日のところはカーネル見つかったし、そんなことどうでもいいかもしれません。


【うぞ】